気管支喘息(小児喘息)が完治した2―とびひ、粉瘤そして喘息の完治へ
この治療体験談は気管支喘息(小児喘息)が完治した1からの続きです。
「とびひ」が良くなる
春は花粉で肌荒れ、夏はあせも、蚊に刺されると必ず大きな水ぶくれになり「とびひ」に、秋冬は乾燥性湿疹と皮膚が弱い娘。
私も子供の頃は蚊に刺されると化膿したりしたので、皮膚の弱さは私に似たのかと思います。
娘は私以上でしょうか、小さな子は体温も高いですし、娘は異常なほどの汗かきで蚊が寄ってきやすいようです。皮膚科の医師にも「刺されやすい体質って実際あるみたいですよ。あと娘さんは蚊の菌に異常に弱いです。」と言われ、刺されたらすぐに塗る強めの薬を処方されています。
いつも通り喘息の治療で伺った際に、蚊に刺された所が「とびひ」になり包帯を巻いていた娘を見て「これも治そう、虫に刺されてもこうならないように。」と奥野先生がおっしゃって治療をしてくださいました。
保育園の周りは畑や林で、毎日2・3箇所蚊に刺されてきますが、その後はプクッと赤く腫れるのみで「とびひ」にはならなくなりました。
粉瘤(ふんりゅう)が良くなる
先日、お風呂から出てきた娘の耳の下が異常に腫れ上がり、腫れの真ん中の傷口から膿(うみ)が見えていたのでティシュでそっと触れたとたんブワーっと大量の膿が噴出しました。
「噴出」という表現方法がふさわしい程の膿の量と勢いに驚きオロオロしながらティッシュでおさえました。
6枚ほどのティッシュが膿まみれになりました。
膿が出ても腫れが引くことがなく、翌日の朝も大量な膿、そして痛がる娘。
朝一番に皮膚科を受診したところ「粉瘤です。通常切開して中にある膿をためる袋を出します。
ただ顔ですし、切開はしません。膿を出し続けて炎症が治まるのを持ちましょう。」と医師に言われました。
「原因の袋を取らないとこの炎症が治まったとしてもまた同じようになるのですか?」と聞くと「そうですね、その都度膿を出すしかありません。」と。
膿を出すことを指導され、塗り薬をいただいて帰りました。
正直納得がいかず、自分でインターネットや本でたくさん調べ、大学病院に勤務する従姉妹に相談し他の医師の意見も聞きました。
手段としては切開のため局部麻酔で30分くらいの手術がほとんどでしたが、子供の場合動いてしまうため全身麻酔をしなければならないと。
4歳の娘はどう考えても30分動かずジッとしていられないので局部麻酔は無理です。
しかし、小児喘息持ちの娘に全身麻酔はとても抵抗がありました。
何度調べても同じなのに眠れないので一晩調べ続けました。
次の日が奥野先生の治療日だったため、早くお会いしたい気持ちでいっぱいでした。
先生は「そんな手段しかないのかな?全身麻酔はしない方がいいと思うよ、この子にはリスクが高すぎる。念のためセカンドオピニオンで他の病院の診察を受けたほうがいい。
いろんな意見を聞いて納得の行く治療を受けるべき。それでも最後の選択は自分でしなさい。誰の意見でもなく何でも最後は自分で決める。これを乗り越えたらこの子はすごく良くなる、喘息も虫刺されも全部。今私ができる治療をしておきますから。」とおっしゃってくださいました。
不安で心配でアタフタどうしたらいいか悩んでいた私の心を読まれたのだと思いました。
従姉妹とも頻繁に連絡を取り、大学病院の診察を受けるために準備をはじめました。
それと併用して、痛がる娘をなだめながら毎日数回膿み出しを繰り返していました。
腫れの真ん中の傷口がどんどん丸く広がっていきました。
3日後には直径5ミリ程の穴になり、「ひどくなっているのでは…」と途方にくれていたところ膿でもない何かクリーム色のようなものが穴の中に見えてきました。
ひどくなったと思っていたので、週明けまた朝一番に皮膚科を受診したところ「これが粉瘤の袋です。出てきたんだ、取りましょう。」と切開せず細いピンセットでつまんで出しました
夜またお風呂上りに取りきれなかった袋がひょっこりと出て来ました。
膿の入っていない袋は、「石こう」のようにかたいものでした。
伸縮した袋がトータルで6ミリくらいとれた後、膿は一切出ませんでした。
袋が取れたので後は傷口がきれいにふさぐようにするため塗り薬が処方されました。
私の知り合いの内科医の医師が従姉妹と同じ大学病院の出身ということもありこの話をすると、「大学病院に行く必要はなくなったんじゃないかな。それは運が良かったよ、切開しないで取れたなんて。まれにあるみたいだけどね。傷口が大きいから塗り薬だけじゃ時期的に(とびひ)や化膿の心配があるから抗生物質を出してあげる。」と処方してくださいました。
次に奥野先生にお会いした際、この1週間の経過を話すと「これで悪いところが出たよ。体の弱いところや悪いところが形になって体の外に出ていったよ。」とおっしゃってくださいました。
そのお言葉を聞いて、先生を目の前に、私は自然と頬が痛くなるほど笑いました。
「初めてこんなに笑えたかもしれない。」と話すと、先生は私の表現に「そんな。」と大きな声で笑って返してくださいました。
しかし、娘が小児喘息を発症してから、こんなにすがすがしい気持ちで、頬が痛くなるほど口角を上げての笑みなんて出来ませんでしたから。
初めて先生とお会いした時、私は頭痛がひどく悩んでいました。
先生は「この子の喘息が治ればあなたも良くなる。」とおっしゃってくださった事を思い出しました。
この時のお言葉がとても実感できた瞬間でした。
文章を書くことが苦手ですし、私の持っている言葉が少ないため上手く書けませんでしたが、先生のお力に心から感謝しております。
言葉に表せないというのはこういうものであると痛感するほどです。
毎週先生にお会いできるのが有り難く、娘と心待ちにしています。
これからも先生のお力をいただきながら治療に励んでいこうと思います。
奥野先生、ご迷惑ばかりおかけしますが、今後とも宜しくお願いいたします。
追伸…娘さんの喘息はその後、奥野治療院の治療で完治する
4歳 女性