今の痛み・つらさは未病予防の扉かもしれません

整形外科医に人工関節にしてもいいくらいと言われたひどい変形性膝関節症が治る

片脚立ちでバランス感覚を身につけ転倒防止に備えるというテレビ番組がありました。
自分はどの位の間、出きるのか、ちょっと試してみたくなりました。
運動神経鈍いから・・・無理かなと思いましたが、何と右足78・左足84まで数えられたのには本当にびっくりしてしまいました。

無論この間直立していたわけではなく体は左右にグラグラと捻っていましたが、日頃の自分から見てあまりの意外性に驚いてすごく嬉しくなり、一人で悦に入っていました。

1~2日経って外出での帰り道、左膝が時々ちょっとイタッと思うようなことがありました。
「あの片脚立ちのやり過ぎだったのかな」と一過性で済むことのように思い込んでおりました。
その後左膝裏が突っ張ったような違和感があり、次の日には膝裏に温泉卵を貼り付けたような腫れが出てきて、左膝が曲げにくく痛みも出てきました。

近所の整形外科では「これは捻挫だから長いよ。みんな試しにやってこうして来るんだ」と言われてしまい、安静と冷やすことで痛み止めと貼り薬が出ました。
片脚立ちから1週間のうちは痛くても何とか歩けていました。

ちょうどその折、気懸かりだった親戚の方の病状が悪くなり、東京郊外の入院先へお見舞いに参りましたが、数日後葬儀となってしましました。
一連の式も終わって退席しょうと椅子から立ち上がったところ、足が一歩も出ません。
連日に渡り長時間同じ姿勢が続いたためか、痛みでどうにも身動きできません。
家族に支えられて帰りの車にやっと乗り、我が家に着いたものの、皆に運び込まれ寝かされる状態になってしまいました。

それからの日々、左膝はパンパンに腫れ全く曲げることも動かすことも出来ず、じっと寝ていても痛みが続きます。
左膝は伸ばしたままで椅子に腰掛けていて、ビクッと足が動いただけで太いガムテープを一気にバリっと剥がされるような痛みが走り、それを我慢するのに精一杯で、どんどん心が萎えていきました。

不安と焦燥に駆られるなかで、私は以前にも病を治していただいた奥野治療院にどうしても行きたいと思っていました。
日頃は家事の全く出来ない夫との二人暮らしですが、脊柱管狭窄症があり4ヶ月前に肺ガンの手術をして息苦しくハァハァ息づかいをしている80歳の夫に抱えてもらい、左脚は痛みで床に付けられないので家の中でも杖をついてトイレに連れて行ってもらう有様でした。

そうした生活を心配して、2人の娘たちも東京の嫁ぎ先から又、私の弟夫妻も車で一時間あまりをかけて、手助けをして支えてくれました。
それにご近所の方も、度々差し入れをして下さりあれがたく又、ご迷惑を懸けながら過ごしました。

後悔と自己嫌悪、我慢の二ヶ月がたちました。
腫れがほとんど引かず一回りも二回りも太くなってしまった私の左膝を見て整形外科の医師が「膝の水を抜いてみよう」と日にちをあけて二回程太い注射針で血液のような液体を抜き取りました。

腫れと痛みが少し引いて突っ張っていた左脚がひらがなの「く」の字くらい曲がるようになりました。
整形外科医は「この膝はもう人工関節にしてもいいくらいだよ」と言われ変形性膝関節症という病名がつきました。

私はここ迄膝がひどくなっているとは思いも駆けませんでした。
年なりにいろいろと体の不都合をいっぱい持ち合せているのに、77歳のこの年迄どうにかその症状が現れずにいたものを、その有難さに気が付かずに、片足立ちくらいでいい気になって自分で自分を傷つけてしまった己の愚かさ、傲慢に何とも言えない気持ちになりました。

家族から「車の乗り降りさえ出来ればいつでも奥野先生に行けるから」と励まされ、自分を抱えてもらいながらも少しでも体を動かせるように頑張ることで、どうにか車に乗り、戸塚の治療院まで行けることになりました。

しかしながら奥野先生に変形性膝関節症の治療にお世話になるにしても、元はといえば自分で自分をダメにした愚かさにすごく気が引けるおもいでした。
奥野治療院では暫くご無沙汰を重ねていたにもかかわらず、先生ご夫妻に変わらず暖かく迎え入れて戴き大勢の患者さんが居られるなか、丁寧に治療して下さって「良くなると思うよ」とおっしゃってくださいました。

変形性膝関節症の治療後にベッドから立ち上がってみると、杖にも何にもつかまらずに、何と!!すーと立てたのです。
熱いものがこみ上げました。

奥野先生には前にも長く続いたむかむかする食欲不振を治していただきました。
治療を受けたその日からスッキリと軽い食事が出来た嬉しさ、有難さに、本当に生きているという実感を味わえました。

私は今回都合のつく限り娘の車の送迎で変形性膝関節症の通院をしました。
その度ごとに少しずつ膝の痛みが薄らぎ、あらためて健康を回復する有難さを噛み締めました。
先生の常に温かく精一杯治療してくださるお姿に、治療中ただただありがたくかたじけなく又、己の至らなさに何度となく涙がこみ上げました。

あれほど変化のなかった変形性膝関節症の左脚が杖をついて左脚を引きずらずに、ゆっくりですが右、左と交互に足先が前に出るようになりました。
激痛と不安のためトゲトゲしていた己の心が、少しずつ消えていきました。

どの患者にも奥様共々誠実に向き合ってくださるお二人の爽やかで優しい清廉なお人柄に、たくさんの患者さんが治療にみえています。
奥野先生独自のバランス療法のすばらしさを体験された患者さん同士が、お話し合いされているのも度々耳にいたしました。

私には変形性膝関節症で昇り降りは無理と諦めていた階段も、横向きにカニ歩きでゆっくり降りられるようになって、その二ヶ月後には送迎の車の都合のつかない時には電車とバスを乗り継ぎ戸塚の治療院へ、のろのろと多少時間はかかっても杖をついて一人で伺えるまでになって、先生も「良かったね」と喜んでくださいました。

整形外科には膝の水を抜いた後は、そのためのリハビリも特にないので行っておりません。
「人工関節のこと」も奥野先生にお伝えしたところ「そんなに悪い足ではないよ」とおっしゃって戴き、手術など、もうこれ以上怖い痛い思いは嫌と思っていたので本当に救われた思いでした。

そして奥野治療院に通いだして半年後には驚くことに短時間なら正座ができるまでになりました。

足の筋肉が萎縮しているので両手をつくか、何かにつかまればヨイショと立ち上がれます。
嬉しくて感激のあまり思わず「先生ありがとう」と声が出ました。左脚はまだ少しムクミがあります。
まれにアレ、痛いかなと思う時もありますが、四六時中殆ど変形性膝関節症による痛みがなくなり、今では余程体調が悪い日とか風当たりの強い日以外、杖は持たずに出掛けています。

思うに奥野治療院をご紹介くださった私の親友に深く感謝しています。
奥野先生に出会えることがなかったら、私自身はどうなっていたのかといろいろ考えると怖いぐらいです。
もっともっと長々と苦しみ、体も精神的にも今の状態にはなれなかったと思っています。

先生御夫妻には変形性膝関節症と身体を治して戴いた上に、落ち込んでいた気持ちも明るくなり希望と心の安らぎを与えて戴きました。

ここまで治していただきまして、衷心より感謝致します。
本当に有難うございました。
厚く御礼を申し上げます。

変形性膝関節症の治療 77歳 女性

足が全部つれて、痛くて一晩中眠れず、動けなくなった変形性膝関節症が治る

私は、77歳の老婆です。
「もうすぐ、70歳になるなあ」と思った時、突然足が痛くなり、動けなくなりました。
病院に行ったら、「膝の軟骨が、へっているから注射しましょう」と言われて、3年ぐらい注射に通いました。
変形性膝関節症により痛み止めの薬を飲みながら、やっと歩くようでした。その後には足が全部つれて、痛くて一晩中眠れないこともありました。

ある日、知人から「変形性膝関節症で足がつれるのは、私が行っている先生の治療院に行くと良くなるよ。私は治ったよ」と教えてくれたので、連れて行ってもらおうと思いました。
今年、3月から連れて行ってもらいました。

初めて奥野先生に、足と腰を治療してもらったら変形性膝関節症が軽くなったような気がして、動くのが楽でした。
畑仕事もできるようになりました。今では正座も、少しできるようになりました。
足が疲れることもなくなり、夜もよく眠れます。

7月の夏休みには、娘と孫にディズニーランドに連れて行ってもらいました。
秩父から電車に乗って、乗り換えもあったりしてディズニーランドに着いて、広い所を歩いたりしたけど、足が疲れませんでした。

変形性膝関節症が良くなったのは先生のおかげです。ありがとうございました。これからも先生の治療にお世話になりたいです。
畑仕事をし、旅行にも行きたいと思っています。
よろしくお願い致します。

変形性膝関節症の治療 77歳 女性

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