西洋医学に見放されて-脊柱側弯症
私は脊柱側弯症で奥野先生にお世話になりました。小学生での発病以来、半年おきに病院に通ったわけですが、20歳になり病院に行った時点で、「もう"20歳"になったのだから、これ以上はまがらないでしょう。」と言われ、いちおう"卒業"させていただいたわけです。
しかし脊柱は曲がっていることには変わらず、また「60才ぐらいになると腰痛に見まわれるかも。」ともいわれ、いわば西洋医学に見放されたことになったわけです。("進行"は止まったわけですが・・・・。)
母の友達に誘われて、初めて奥野先生にお目にかかったのが去年の12月。
以来約半年にわたって、週1回の脊柱側弯症の治療に励みました。
初めて治療を受けた時にそのやさしさゆえ正直いって最初は半信半疑でしたが、3カ月後にレントゲンを撮ってもらったところ、わずかながらも脊骨がまっすぐになったではありませんか。
いわば"絶望"していたこの私も「これはもしや・・・・。」と思い、さらに3カ月間頑張りました。そしてレントゲンを撮ってもらうと、一目見ただけではその側弯症であることが分からないほどに真っすぐになっていたのです。
さっそく奥野先生に報告、そして晴れて"卒業"となったわけです。
余談になりますが恥ずかしながら私はまだ"受験生"。いわば失敗続きだったここ数年ですが、"絶対に治らない"といわれた病気を治したことで大いに自信がつきました。この勢いで来年こそは("栄冠"とまでは言わないけれど)"勝利"を勝ち得たいと思います。奥野先生、本当にありがとうございました。
脊柱側弯症の治療 二十歳の受験生男子
私と娘のその後 突発性脊柱側弯症と卵巣嚢腫
私は33才、娘は8歳で小学2年生でした。私は卵巣のう腫を、娘は突発性側弯症と夜尿症を奥野先生に治していただきました。
私の卵巣嚢腫は7センチくらいの大きさでしたが先生に3,4回治療していただいただけだと思いますが、2ヶ月後の病院での検診では、病院の医師も驚くほどの小ささになってました。大きさは3センチ以下でした。
その後の検診でも殆ど分からない状態までになり、病院への検診通院はなくなりました。奥野先生のおかげで今では再発することもなく、毎日楽しく過ごしております。
そして、娘のほうですが、最初奥野先生にお世話になるきっかけとなったのは娘の病気でした。娘の病気は突発性脊柱側弯症という原因が分からず背骨が曲がってしまうと言う病気でした。
娘の背骨は左肩が下がり右肩がやや上がりS字状に曲がっていて、前屈などまるっきりできない状態で首から下がほとんど曲がらず、頭と腕を下げるだけという感じでした。
一般的にはこの脊柱側弯症というのは成長期の時期に姿勢の悪さなどから起こるらしいのですが、娘のように成長期前に曲がってしまうというのは大変珍しいらしく、曲がってしまった骨は治らず、成長期を向かえ10代後半にはもっと曲がるとのことでその前には金具を入れ補強するしかないとかで・・・。
また、別の病院では脊髄に何かできていて曲がっているのかもしれないというので検査入院しました。
ですが、その病院での検査でははっきりせず、設備の整った大学病院でサイド検査することになり、娘は小学2年の夏休みは検査入院と病院通いで終わってしまいました。
しかし、結果のほうはやはりはっきりと断定はできず「何らかの異常があるのは確かだと思うが、開けてみないと分からない。はっきりと分からない以上、病院からは手術を進めることができないので、ご両親で決めてください。」と言われ、手術の危険性を説明され、何かできている場合は手術で取り除くわけですが、脊髄の手術の場合、神経が多く沢山通っているため、大変難しい手術で、少しでも神経を傷つけてしまえば歩けなくなってしまいます。
でも手術をしなくてもいずれ歩けなくなってしまうでしょう。だから、手術はご両親が決めてくださいと言うものでした。
そこからの主人と私の生活は壮絶な日々でした。どんなに話し合っても悩んでも結論は出せず、気付けば口論となりけんかになっていました。
そんなある日、主人が知人から奥野先生の話を聞いてきて、私たちはすぐにダメでもともととわらにもすがる思いで、奥野治療院をたずねました。
それが奥野先生との初めての出会いでした。
そして、そこで奇跡のようなことが起きたのです。あれほどまでに曲げることができなかった背骨が一回の治療で指先が着くくらいに曲がり、その後回数を重ねるたび、しまいには手のひらがぺたんと床につくまで曲がるようになりました。
正味、治療に通ったのは5,6ヶ月だったと思います。本当にタダ、タダ感謝と驚きの連続でした。
最初の治療のときに娘と私に「僕と一緒にがんばって治していこう」といってくれたこと、そして治療室を出る私に「僕はたぶん何もできてないと思うよ」と笑顔で行ってくれたその言葉で私の気持ちがスーッと楽になったのを今でも覚えています。
そして、「脊柱側弯症はもう治っているよ」と言われ娘の背中を触ったときは本当に驚きました。
「曲がってしまった骨は元には治らない」と言われた骨がちゃんと治っていたのですから・・・
本当に感謝の気持ちでいっぱいでした。それから夜尿症のほうも一晩に2,3回としていたおねしょも2,3日に1回とか週に1回とだんだんと回数が減りいつの間にか夜尿症も治っていました。
そして中学、高校と成長し、成長期を迎えても背骨は曲がることもなく脊柱側弯症は完全に治りました。
その後もたいした病気もすることなく、今では社会人になり医療関係(看護師)の仕事をしてがんばっています。娘は小さいときからアトピー喘息など、この脊柱側弯症の病気が治るまでは病院に通いが絶えない子でしたが、この職種の道へ進んだのも、きっと娘の中に自分で体験したことが、また思いが自分も病気で苦しむ人たちのために何かをしたい手助けをしたいと言う思いがあったのかも知れないと思います。
そして、今私も奥野先生に出会えたことを心から幸せと思っています。私も自分の体験を下に同じように病気で悩んでいる友人に奥野先生のことを、奥野先生の治療を進めています。
奥野先生、病を治していただいた私が言うのも変ですが、お体に気をつけて、これからもどうぞがんばってください、そしてこれからもよろしくお願いします。
お世話になった、その後のご報告と思いペンを持ちました。
脊柱側弯症の治療 娘
13°の脊柱側弯症が治る
次女は現在中学二年生です。二年の春の学校の健康診断で脊柱側弯症と診断され病院へ行くように言われました。市内の病院で診てもらいレントゲン検査の結果、背骨が13°曲がっていると診断され毎日体操をするように、三カ月に一度来院するよう言われました。
24°になるとギブスをするそうです。それから三カ月に一度来院しレントゲン写真を撮り、ひたすら側弯症が24°になるまで待っているような状態でした。これだけ医学が発達している世の中で、ただひたすら進行するのを待っているというのが実状のようです。
「こんな馬鹿げたことがあるのかしら」と私は恐ろしくなりました。
治療後 | 治療前 |
側弯症が24°になるまで待って24°になったら、「さあーギブスをします!」と言うのでは、娘がかわいそうです。
もう三女の事でお世話になった奥野先生にお願いするしかないと、主人とも相談し娘にも話しますと娘も「先生の所へ行く」と言いました。
「脊柱側弯症が治らなくてもよい!少しだけでも良くなってくれるなら・・・」と考えていました。三人姉妹の真ん中ということで、あまり小さい時から手のかからない子でした。言葉を返せば手を掛けてあげなかったという方が当たっているのかもしれません。
中学生になってから気難しくなり、少々反抗的になりました。長女もそういう時期があったし誰もが一度は通る道かなと、あまり気にはしませんでしたが親の欲目から言えば、「やる時はやる!遊ぶ時は遊ぶ!」とけじめをつけてほしいなと思っていました。そんな気持ちも抱きながら奥野先生にお願いにあがりました。先生は「軽いから、よくなる可能性がありますよ」とおっしゃいました。
脊柱側弯症の治療を終えた娘の顔を見た時「あっ、この子の顔が変わった」と思いました。真剣さがでていました。私は「今日、思いきって連れてきてよかった!」と思いました。
私は仕事に出ていますので、なかなか時間が調整できず、冬休み最後の土曜日で私も仕事が休みでしたので、「今日しかない」と思い連れてきて本当によかったと思いました。できる事ならもっと早くに機会を作ってあげるべきだったと思い帰宅しました。
帰りの娘は行く時とは少し違っていました。それから娘は病院へ行く日までに行けるだけ先生の所へ通うと言うので3~4回、日曜日のたびに側弯症の治療をしてもらいに行きました。
それから1ヵ月後の1月31日に病院へ行きました。レントゲンを撮り担当の先生はレントゲン写真を見て不思議そうな顔で、看護婦さんに前のレントゲン写真を持ってくるよう指示し、両方を見比べていました。私も見比べてびっくりしました!!
今日撮ったレントゲンは背骨が、ほぼ真っすぐになっているのです。先生は娘に「毎日体操をしていた?」と聞き、娘は「はい」と答えました、が全然体操などしていなかったのです。私は奥野先生の事を病院の先生に話しました。病院の先生は「何も見ないでよくできるな」と不思議がっていました。「もうこれ以上進みませんよ。半年ぐらい経ったら1~2回来て、それでいいですよ。」とおっしゃいました。
今更ながら奥野先生の偉大な、お力にはびっくりするとともに有難いことと深く感謝いたしております。痛い思いもせずに、薬を飲むわけでもなく病院の医師が治せなかったものを治してしまうのですから・・・
又奥野先生は体の悪い所を治すだけではなく、心の悪い所も治してくれるようです。
私は三人の娘のうち二人までも先生に治していただきました。ありがとうございました。
14歳 女性 脊柱側弯症の治療
35度の特発性脊柱側弯症が、半年後18度に改善された
小学5年生の学校検診で”特発性脊柱側弯症の疑い”の指摘がありました。
病院での診断は「現在20度。おそらく成長とともに曲がる角度は進むでしょう。35度になったら装具着用の治療が必要です」とのこと。
半年に一度、レントゲンの検査を受けましたが診断どおりに少しずつ角度が大きくなっていました。
中学3年になり35度になり、装具をつけることになりましたが、あまりの痛みと苦しさに病院から家までの1時間も耐えられないほどでした。
お風呂以外は着用するように言われていましたが、30分ともたず外してしまう毎日。
何か他に治療法はないものか?とインターネットで検索する日々が続いていたところ、運命的に奥野治療院にたどり着きました。
初日、かなり緊張していたようですが、治療後は顔つきがスッキリと変わり、目が良く見える、足の運びが軽くなったと申しておりました。
半年間のほぼ毎週の治療後、病院でのレントゲン検査を受けたところ18度に改善。
主治医は「すごく良くなっている!どうして?すごい!」とかなり驚いた様子。
「この角度で1.2年程度の維持をし、骨の成長が止まれば治療も必要ない」と言われ思わずガッツポーズが出ました。
あのまま装具を着けず月日がたち進行していたら手術することになっていたかも・・と思うと奥野先生に感謝の気持ちでいっぱいです。
明るい気持ちで春から高校生になれそうです。
ありがとうございました。これからもどうぞよろしくお願い致します。
脊柱側弯症の治療 10代 女性
15度の脊柱側弯症が治る
娘が小学校3年生の時にセルフチェックで脊柱側弯症を疑い、整形外科でレントゲンを撮りました。
15度の傾斜と言われ、どうしたらいいか、を整形外科の先生に伺うと、経過観察をして、傾斜が進行してきたら、中学生くらいになった頃に手術をすることになる、と言われました。
親としては、何も対処できず、これ以上傾いていかないように願うだけしかできないのかと、とてもヤキモキしていました。
そんな中、脊柱側弯症のことを知るためにネットで検索していて奥野治療院をみつけ、同じ脊柱側弯症の方の治療体験談などから、希望を持ち、電話をしました。
最初の4か月くらいまで1か月に2回、その後6か月になるまで1か月1回通いました。
6か月後には見た目にも、背骨が真直ぐなのがわかったので、整形外科で再度レントゲンを撮りに行きました。
写った背骨は真直ぐになっていて、整形外科の先生も「あれ?傾斜がないね。 何かしたの?」と不思議そうにしていました。
5年たった今でもおかげ様で娘の背骨は真直ぐです。
手術することなく、治してくださった奥野先生には本当に感謝しています。
脊柱側弯症の治療 10代 女性
脊柱側弯症が治り背骨が真っ直ぐになる
娘が学校から「脊柱側弯症の疑い」をもらい、整形外科にかかりました。
検査の結果、今はまだ経過観察だが、悪化した場合、手術の可能性も有り得るとのことでした。
手術は回避したかったので、脊柱側弯症の改善方法や、治療方法、生活について確認しましたが、何もないとのことで諦めかけていたところ、息子の夜尿症でお世話になっている奥野先生のことを思い出しました。
患者さんの治療体験談のファイルで同じ病気を目にしたことがありました。
早速、隔週で数回治療をお願いしたところ、半年後の整形外科の検診では問題なしとなりました。
レントゲンを撮影しましたが見事に背骨が真っ直ぐになっており、脊柱側弯症の手術を回避できて先生には感謝しかありません。
西洋医学では手立てがないところを痛みの無い短時間の治療で治して下さる貴重な先生であり、あらゆる不調に際しても一家で頼りにしております。
脊柱側弯症の治療 11歳 女性