今の痛み・つらさは未病予防の扉かもしれません

多発性硬化症が治る

2月に突然物が見えにくくなり、1日毎に視力は低下し、2週間ほどで両目共に失明状態に陥りました。眼科で見てもらったところ、「視神経が腫れているので、至急大学病院で検査を受けるように。」と紹介状をもらい、横浜市大病院に入院しました。
脳腫瘍の疑いもあるということで、危険な検査のひとつである、血管撮影も受けましたが、幸い、脳には異常がなく、「球後視神経炎」と診断されました。

この間の一日一日は不安と恐怖で地獄のような日々でした。しかし、副腎皮質ホルモンが効いたのか、眼のほうは少しづつ回復してきました。この薬は、副作用が非常に強く、胸が苦しくなり、何度か、死ぬのではないかと思ったことがあります。

あまり苦しいので、素人判断で薬を減少したところ右目は回復せず、失明してしまいました。2年後の3月、1週間ほど熱が下がらず良かった左のほうも見えなくなり、失明状態になりました。国立東病院に入院しましたが、入院当初は何も見えず、食事も手探りでするような状態でした。

ジレンマの日々が続きました。左目は少しづつ回復してきましたが、あまり良く見える状態では、ありませんでした。こんな状態が半年続き、今度は、腿の付け根が重く、足の運びが鈍くなりました。「おかしいなぁ。疲れているのかな。」と思いましたが、足の動きは次第に鈍くなり、短期間の間に歩けなくなり、車椅子の生活となりました。眼は良く見えない、下半身は麻痺している。

「どうして私だけがこんな不幸な目にあわなければならないのか」とずいぶん落ち込みました。
 主治医の先生から、「これは眼だけの病気ではないかもしれない。大学病院で検査を受けなさい。」と言われ、東大病院の神経内科に転院しました。
いろいろな検査の結果、初めて「多発性硬化症」という難病と診断されました。

多発性硬化症とは中枢神経やその他の神経が侵され、神経の動きが鈍くなってしまい、身体が麻痺したり、失明したりする厄介な病気です。恐ろしい病気に取り付かれたと思いながら、食事やトイレはもちろんのこと寝返りも自分でできない半植物人間的な入院生活を送りました。

 副腎皮質ホルモン剤を多量に投与され、眼も足も少しずつ回復して来ましたが、一人で歩けるような状態ではありませんでした。しかしどうしても治らなくてはとリハビリや歩行訓練を一生懸命がんばりました。2ヵ月後退院し、リハビリのため横浜の港湾病院に1ヶ月入院しました。

退院後、不自由な身体でしたが、どうにか身の回りのことができるくらいに回復してきました。しかし、暑いときや寒いときにこの病気の症状が現れ暑い日には思うように歩けなくなり、逆に寒い日には身体が締め付けられる不自由な日々を送りました。また、むくみや便秘、吹き出物等副作用に悩まされる日々でした。
2月原因不明の腰痛に襲われ、整形外科やマッサージへ行ってもよくならず痛みは増すばかりでした。

医者は骨には異常がないからと鎮痛剤をくれるだけでした。このような状態のとき、娘を通して、奥野治療院を知り、治療していただきました。今まで経験したことのない治療でした。一週間毎日通院するように言われました。内心本当に治るのかしらと疑問と不安でいっぱいでした。

1日目痛みは和らいできましたが2日目3日目と通院するうちに痛みは激しくなり、3日目には寝返りも打てないほどの激痛に襲われました。先生から治る前に痛みやだるさの反応が出ることがあると聞いていましたが、この痛みが反応だとは知らずにもう通院するのはやめようと思いました。

その後痛めは不思議と和らいできました。4日目も5日目も同様に治療してただ来ました。5日目には痛みはほとんど取れ、普通に動けるようになりました。
先生の治療によって動いてなかった副腎が動き出して、痛みの反応が取れたのこと。薬で症状を抑える西洋医学と異なり、病気の根本を治す、すばらしい治療法と改めて感心しました。

10年間飲んでいた副腎皮質ホルモン剤は3月より服用を中止しました。それから10ヶ月間治療に通いました。多少の反応は出ましたが、知らず知らずの間に健康になり、多発性硬化症の症状も和らぎました。実は東大の先生には薬をやめたことを内緒にしていたのですが、東大の先生からも「もう薬は飲まなくていいでしょう」と言われ、驚きました。

 その後心配だった眼も不思議と視力は上がり0.6から0.9になりました。今は週一回治療していただいていますがとても健康になり、ダンス教室に週2回行き旅行は月1回と人生を楽しんでいます。

先生の治療は薬を使わず、人間が本来持っている自然治癒力で病気の根本から治すすばらしい治療法だと思います。難病の私がこのように元気でいられるのも先生のおかげだと表います。これからも心身ともに健康でありたいと思います。
先生本当にありがとうございました。これからもがんばってください。


※23年後の現在、80歳を超えましたが電車、バスを乗り継ぎ1時間30分以上の時間をかけ健康管理のため一人で来院なさっております。

多発性硬化症の治療

難病である多発性硬化症が治る1-多発性硬化症が完治

いつも大変お世話になっております。
奥野先生の治療を受け、難病である多発性硬化症の症状が完治しました。
早いものであれから4年8ヶ月が経ちました。
再発もなく今こうして元気でいられるのは奥野先生のお陰です。

本当に有難う御座います。
治療体験談を書きましたので送ります。
写真で私の顔の写真も添付してありますが、そのまま載せて頂き大丈夫です。

【多発性硬化症の眼の斜視が完治して治る】
今から4年8ヶ月前の事、ある日突然視野が歪んでしまい違和感を覚えました。
直ぐに近所の病院へ行き、眼科へ受診したところ、「目の調整機能が悪いのかもしれないので様子をみましょう。」と言われ、念の為に脳の病気の心配もあるので、頭部のMRIを撮りました。結果、異常はありませんでした。

翌日、眼を覚ますと眼が斜視になってしまい、視点が定まらず、真っ直ぐ歩けない状態になっておりました。
斜視だったら手術すれば治ると思い、昨日と違う大きな眼科へ行きました。
診察するなりバセドウ病かもしれないと言われました。

直ぐに大きな総合病院を紹介されて、急いでタクシーで病院へ向かいました。
総合病院の先生は、「多発性硬化症の疑いがあるから」と、MRIに造影剤を入れてより詳しい検査をする事になりました。
検査結果は、頭部に10数箇所の病巣があり、病名はやはり多発性硬化症だと告げられました。

多発性硬化症とは、免疫性の難病で悪化すると失明や歩行困難、記憶障害になってしまう恐ろしい病気です。
難病で治療法がなく、方法としてはパルス療法で一定期間ステロイド点滴をして治療するしかないと言われました。

勿論この方法をしても必ず良くなる保証はないということです。
難病になってしまったと言う絶望感に打ちひしがれていると、家族が、多発性硬化症の研究をしている名医がいる病院を探してくれて、セカンドオピニオンとして診察して貰う事になりました。
しかし、ここでもやはり検査結果は多発性硬化症でした。治療法も同じで、2週間後入院してパルス治療をする事になりました。

そんな中、子供達がネットで奥野治療院を探してくれました。
奥野先生が多発性硬化症の方を治療して、その方は完治して元気になられたとホームページに載っていたから、きっと私の病気も治して貰えると望みをかけ、娘が連絡を取ってくれました。
有難い事に治療をして頂ける事になりました。
丁度夏休みだったので、息子と娘が車で埼玉から送ってくれました。

そして、奥野先生が精一杯の治療をしてくださいました。
すると治療中、天井を見たら視点が少しあったような気がしました。
続けて治療して頂き3回目の治療の時、ピタッと視点が戻り斜視が治ったのです。

たった3回の治療で、難病である多発性硬化症の斜視の症状が完治したのです。
奇跡です。夢のようです。
家族もビックリして喜んでくれました。

週明けに病院でのパルス治療の入院の手続きに行く予定でしたので、斜視が治った報告もあり診察に行くと、私の顔を見て先生も看護師さんもビックリしておりました。
先生からは、「斜視が治ったので入院する必要はありません。」と言われました。

帰る際に看護師さんから急に呼び止められて、「何か特別な事したの?」と、不思議そうな顔で聞かれました。
わずか数日の間に改善したので、余程驚いたのだと思います。

あれから4年8ヶ月経ちますが、お陰様で再発もなく、今こうして元気でいられるのは、奥野先生、そして奥野先生の奥様のお陰と感謝しております。本当に本当にありがとう御座いました。

[多発性硬化症のMRIの画像]

多発性硬化症のMRI画像

上記の画像は、斜視になり2件目の病院で造影剤を使用して撮ったMRIです。画像には病巣が数十箇所写っています。

[斜視治療前と治療後に撮った写真]

多発性硬化症の斜視治療前と治療後

上記の写真は、左側が多発性硬化症で斜視になり奥野治療院で治療を受ける前に撮った写真です。
右側は奥野治療院で奥野先生に治療をして頂き斜視が治った日、帰りの車の中で撮った写真です。

(この治療体験談の続きは難病である多発性硬化症が治る2-健康診断で全ての数値が改善されるです。)

多発性硬化症の治療 女性

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