今の痛み・つらさは未病予防の扉かもしれません

化膿性耳下腺炎が治る

奥野先生には2年前からお世話になっています。
治療院に月1~2回通うようになってから、お医者さんへ行くことが驚くほど少なくなりました。以前は1年に2度、8月と12月に気管支炎で発熱し2週間程寝込み、その都度抗生物質を飲んで治していました。先生の御蔭で体調が良くなったのを幸いに、ちょっといい気になって歳も考えず無理をしてしまいました。

4月は忙しく、いろいろなことをやり過ぎました。往復2時間かかる場所へ行くのを3日ほど続けたり、「疲れたかな?」と思いつつ徹夜で仕事の準備をしたり、2~3時間の睡眠を3日程続けたりしました。仕事上で、人との意見の食い違いによる精神的ストレスが加わり、ついに5月10日にダウンしてしまいました。

急に体の力が抜け、動けなくなりました。左耳下腺の辺りが、まるで温泉饅頭をくっ付けたように大きく硬く腫れ上がりました。5月11日に耳鼻咽喉科に行くと、化膿性耳下腺炎と診断されました。白血球が12800(平均3000から7500)もあって、菌を検査するとそれ自体は弱い菌らしいのですが、耐性菌なので使える抗生物質があまりなく、今回の抗生物質は5~6回使うのが限度だといわれました。

膿を出すため、ガチガチに硬くなったところをぐいぐい押されました。看護師さんに頭を押さえられていたので、逃げられもせず、あまりの痛さに叫び声をあげ、吐きそうになってしまいました。拷問の様な膿出しと、薬の点滴とを3日続けた水曜日に「膿が出てきませんね。膿が出ない限り治らないので、(木曜は休診)金曜日になったら埼玉医大に紹介状を書きます。入院して耳下腺炎の手術を受けて下さい。」と言われました。

私は朦朧とする頭の中で、今日は奥野先生が秩父にいらっしゃる日だ。「秩父に行こう」と考えていました。「奥野先生ならきっと耳下腺炎を治して下さる。」その一念でふらふらしながらも、車で1時間かけて秩父治療所に行きました。奥野先生がぐったりしてうつ伏している私の様子をみて「どうしたん?」と声をかけて下さいました。

事情を話して治療していただいた夜のことです。ガチガチだった耳下腺炎の腫れが柔らかくなって、自分で押せるようになったのです。痛くもなく、膿が出てきました。よかったと思ったら嬉しくて涙が出てきました。次の日も秩父治療所に行きました。「元気になったね、昨日と別人みたいだよ!もう大丈夫だよ。治ってるよ。」と笑いながら奥野先生はおっしゃいました。

金曜日になって耳鼻科に行くと、「膿が出たからもう大丈夫です。白血球も正常値になりましたし、耳下腺炎の手術もしなくていいでしょう。治療の必要はもうないので、こなくていいですよ。」と言われました。本当にビックリしました。奥野先生に治ったと言われた次の日に、耳鼻科の先生に同じ言葉を言われたのです。「耳下腺炎の手術を受けろ」と言うのは“薬だけでは無理だ、金曜までには膿を出せる状態にはならない”というお医者さんの経験的な判断からおっしゃった事だと思うのです。

6日しか経っていない状態で「治りました。」という言葉を聞けるとは思わなかったありがたい言葉でした。それとともに、奥野先生の凄さを実感し、感謝の気持ちで一杯になりました。“奥野先生に治してもらえたんだ”頭のなかで思いがこだましました。
血液検査で白血球は正常値に戻り耳下腺炎の腫れもひきました。医学的には治療の必要はなくなりましたが、食事が取れなかった為、体重が5kgも減り体力が落ちてしまいました。

同じ病だった知人は、温泉饅頭大でなく梅干大の腫れができ、歯茎の下辺りを切開して膿を吸出し4針縫合したそうです・・抗生物質を6週間飲みやっと耳下腺炎が治ったと言っていました。また、別の知人のお孫さんが同じ病で日赤に行った時、「子供だから少し様子をみますが、大人なら即入院ですぐ手術です。」と言われたといいます。

私は治ったと言われていても、そういうことを聞くと少しばかり不安な気持ちになるのです。「もう大丈夫だから、治ったから。心配なんてしなくていいよ。」と大きな声で笑いながら言って下さる奥野先生の声にすがって、できるだけ秩父に通おうと思っています。先生どうかよろしくお願いいたします。そして、ありがとうございました。こころからお礼申しあげます。

感謝を込めて  59才女性 化膿性耳下腺炎の治療

治療院トップ > 治療体験談 > 化膿性耳下腺炎